丹羽敏雄 著
「百合と薔薇」―ゲーテ=シュタイナー的自然観察への誘い―(涼風書林)
通っていたフラワーエッセンスのクラスで、植物観察をしていました。その参考図書というか、クラスでも教材?として用いられていた本です。
植物の観察の仕方が、とても分かりやすく書かれていますが、自分の内面(感情や思考、心の動きなど)や、自分以外の人との関わり方、いわゆる「境界線」について、理解しやすい言葉で書かれている箇所がありました。
(以下、P42~43から抜粋)
人間が対象の場合、私たちは相手の表情や姿かたちを一瞥すると、ただちにその人の「内面」に目を向けてしまいがちです。しかし、たいていの場合、そこで「読み取った内面」は、自分の勝手な思い込みであることが多いようです。相手の外見や仕草を注意深く見ようとはせず、過去にもった記憶に基づく印象を再生しているに過ぎません。それ以上見ようとしないのです。その相手の性質が、現に目にするその人の外面、どういう動きや形態その他から来ているのか、常に注意を払うべきでしょう。そうすると、自分が想像していたものが、相手のもつ客観的なものではなく、自分が相手から受けた主観的な印象を、さらには単に自分の記憶や、他者から得た評価を相手に押しつけているだけであると気づくかもしれません。最後に、こうしたことを考えるときに、重要な示唆を与えてくれるゲーテの知恵に満ちた言葉を紹介しておきましょう。(ゲーテ『ファウスト〈神秘の合唱〉』より)
すべて移ろいゆくものは、永遠なるものの比喩にすぎず
(抜粋終わり)
自分が感じている事は、本当に、「相手の感情」なのか。「自分の感情」や「自分の記憶」なのではないか。
「相手がこんな表情をした、こう思っているに違いない」
「相手がこう思うだろうから、私はこうする」
上記は、「わたし」が「思った」こと、「わたし」が「感じた」ことであり、「相手」が「思ったこと・感じたこと」ではないかもしれない。
この考え方、捉え方が「境界線」ですね。
わたしなのか、あなたなのか、丹念に見つめる。感じる、
これが、毎秒毎秒。
なかなか、難しいです。
この「境界線」は、アロマテラピーのトリートメントをしている時にも、とても重要です。しっかりと「あなた」を見つめる。
どこまで行っても、「わたしが見ているあなた」なんですよね。それでも、私たちは酸素を吸い、二酸化炭素を吐き、同じ地球に生きている。ある意味では、境界線はないのですが、ある。あるけど、ない。これは大切なことだな、と思いました。
わかっても、実際に出来るかどうか、は別物で・・・、なかなか、いや、かなり、難しいですものですね。
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